Sports fishing information service japan 1976.3.創立 九州磯釣連盟北九州支部 海洋磯釣倶楽部 musick 涙のトッカーター(ポール・モーリア) 3

私達 海洋磯釣倶楽部の伝統はクリーンアップから始まった。福岡県宗像大島の釣り場掃除は会員16名で大島の磯から2つの港の清掃した

1982.5. 海洋磯釣倶楽部の福岡県宗像大島の釣り場掃除は会員16名で、大島漁港の応援と、民宿から軽トラック2台を借り、磯釣り場と、2つの港の清掃した

1995から始まった「水辺感謝の日」 (公財)日本釣振興会、毎年 海洋磯釣倶楽部は参加している。九州磯釣連盟北九州支部の掃

 ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ 
    
未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき


第二章 釣りを趣味にした私のおいたちとクリーンアップ
  

職場の釣りクラブからマナーアップ 「吉田印刷磯釣クラブ」 その1

私が始めて釣に関わったのは、会社に入社してから。その会社は北九州市若松区、若戸大橋そばの企業で、すぐそばに洞海湾という茶色の海があったことから始まります。
土曜日の夕方、その会社岸壁に山下渡船が接岸し、会社の釣り同好会のメンバーが10数名、定員オーバーして乗り込みます。世話人は上司の空閑敏明さんで、全員にゴミ袋の配布があり、これにゴミを入れるよう言われます。そして響灘埋立地沖の陣地という捨て石に上がり、夜釣りを始めます。このとき私は空閑主任から貰った古ぼけたライフジャケットを着け、新しく購入したグラスロッドの3号竿に小型スピニングリール、道糸5号を巻き、ブッ込み釣りをしました。先輩達は電気ウキの、ふかせ釣りでクロやメバルを大漁してましたが、私はアナゴとセイゴを釣り、そのセイゴが大物賞ということで金券が貰えたました。

このことがきっかけで吉田印刷磯釣倶楽部が結成されます。


それで一番若い上瀧が会計になれ!! と、皆からせつかれ、萩原会長が「若いモンは働かにャー」ということで無理やり会計を押し付けられます。そのおかげで毎月20人ほどの職場の会員さんから集金してまわることになり、世話係のきっかけをつかむことになります。ちなみに、山下渡船(信福丸)рO93―327―9020 は現在も沖の西波止とか渡しておりますが、先代の船長さんは7人乗りの小さな小船で、釣り船を兼ねた渡船業をしていました。その船長さんの娘さんが我が社に入社して結婚され、その娘婿が二代目を継いでおります。
お魚釣りからつながる人間関係って色々あるのですが、そのつながりを大切にしながら、たくさんの人々とコミュニケーション。そして趣味の領域を増やしてゆくプロセスを知ります。

昭和42年に会社勤めを始め、小倉北区から若松へ通勤しますが、戸畑渡場から洞海湾を渡る市営渡船とか、若戸大橋をバスで通勤しながら若松の海釣りを先輩達と楽しみました。19才になり車の免許をとり、すぐにホンダN360(軽のバン)を購入します。そして宮崎県門川沖の大ビロー、ブリバエ、小ビロー等の磯釣りへ会社上司から誘われるようになります。
当時はマイカーとか車の免許を持つ人がごくわずかで、社内で私のような若者は居ませんでしたから、随分と先輩達に引きずりまわされました。しかし、仕事でこき使ってくれる先輩達でしたが、私には特別扱いで、釣り道具を随分貰ったものです。
そんな先輩達との釣行で一番うるさかったのがゴミマナーです。

いつものように週末の仕事が終り、そのまま釣り場へ直行します。深夜運転して、そのまま磯上がり。私はいつものように半分釣っては磯で昼寝です。そして帰港前は必ずドンゴロスを持って磯のゴミ拾いです。
このときは物凄くゴミが散乱していた時代でしたから、すぐに一杯になりました。しかし周辺の釣り人の目が優しくて、皆で協力してくれたものです。まだ釣りマナーとかゴミマナーが統制されてない時代でしたから、よけいに釣り人のハートが暖かかったときでもあります。それで皆から、お魚さんは貰えるし、渡船の船長さんからも伊勢エビとかアワビ、サザエとか、蒸かし饅頭等、特別あつかいのようにして可愛がられた良き時代でした。
そんな磯釣りも大分県鶴見や蒲江に良く通いましたが、ほとんど先輩達に連れられてゆくだけの釣りが5〜6年ほど続きます。

そんなとき、スポーツニッポン新聞社の釣り編集長、高橋 斌さんと出会います。新聞社から大会のトロフィが貰えることを条件にして釣り大会の原稿を書くことでした。
吉田印刷 磯釣倶楽部の大分県蒲江の釣り大会をリポートし、無事記載された新聞記事を読んで感激。これがきっかけで、私の釣りライター精神が目覚めたようです。もちろん釣りのお世話係をしながら、たくさんの釣り情報を仕入れる作業に加え、釣りマナーアップという、釣り人と釣り場環境問題にも厳しく触れて、社会的な釣り人のスタンスをアピールしてゆくことになります。そんなことを強くサポートしてくれたのが、会社職場の先輩であり、釣り同好会のメンバーでした。

そして昭和59年7月、週刊つりニュース西部版が読売新聞本社から後押しされて発刊されます。私もこの頃よりAPCとして釣行記事を書き、本誌、古賀編集長とお付き合いが始まるようになりました。





 ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ 
    未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき



第二章 釣りを趣味にした私のおいたちとクリーンアップ

九州の釣り場を守る 「九州磯釣連盟のハート」         その2

昭和51年3月に海洋磯釣倶楽部を結成します。

平均年令28才の若い釣りクラブでしたが、主に近場の釣り場をメーンにした活動を始めます。その次の年に九州磯釣連盟が発足され、私達も参加します。このとき九州磯釣連盟350会、6000人のスタートで北九州支部1600人の中に、海洋磯釣倶楽部は若松地区の11クラブ270人所属。このときあの名門、若松磯釣倶楽部、のちの九州新潮会とお付き合いが始まります。

初代海洋磯釣倶楽部の会長は保里剛太郎さんで、私はそのサポート役の書記で、今の事務局長のような世話係で、このとき私は26才でした。保里会長のもとで九州磯釣連盟とか北九州支部、若松地区等の各クラブ代表の方々とのお付き合いが、この頃より始まりますが、ペンライターという私の肩書きからくる、新聞、雑誌、そして釣り具メーカーさんとのつながりも含めて、九州釣界の活動そのものに深く首を突っ込むことになります。まだ二十代から三十代に入ろうとする私は、九州釣界の黄金時代の末端に居たときでもあります。

その中で「釣りマナー」とか「釣り場進入禁止」「少年少女釣り大会」「海岸の立入り禁止」「海釣り公園設置」「稚魚放流」「海難・海防・講習会」、そして「マキエ規制」「漁業と釣り人との関係」「海難事故」等、様々なテーマ、アジェンダの中で話し合いの場に良く通ったものです。
ただ、どのような場合でも釣り人は趣味の域で釣りを楽しむものだから、漁業権とか、企業有地等の、海岸立入りは原則規制を受けるのは当然。ということで、港湾局、行政等から厳しい指摘があります。
しかし、色々な諸事情において大衆的な釣りブームを反映してか「釣り人の入浜権」とか「自然に接する釣り場の権利や開放」は、

私達釣り人を代表して九州釣り団体協議会、及び九州磯釣連盟会長であった都留正義さんが強力なスタッフとともに国政、行政などに強いインパクトを与えました。又、東京都で産声を上げた釣り振興を目的とした()日本釣振興会のリーダー 潟^カミヤ 高宮義諦さん(初代 釣り具のポイント社長)が、九州地区支部長として、福岡県や北九州市政との強い、広いパイプで釣り人の為に都留正義会長とともに様々な活動を始めてゆくのもこの時代です。


百万都市「北九州市に釣り公園が無い!!」ということで精力的に行政、国政にアピールして北九州市小倉臨海公園(延命寺臨海公園)海岸遊歩道ができ、この地で九州磯釣連盟事務局長 兼 北九州支部長を勤める初代 薮田俊朗さんが「北九州少年少女釣り大会」を開催し、当時の市長、谷 伍平さんが子供達と一緒になって釣りをした、ことなど今に続いている、子供達の釣り大会なのです。





九州磯釣連盟は釣り人組織ですが、連帯して「釣り人」の為の様々な活動をすることをベースにしながら、九州の釣り場環境を整え、守ることを意識しています。合わせて、釣り人を代表したリーダーでありながら、釣りマナー等の模範を示すこと、その上で様々な釣りスタイルを楽しみながらゲームフィッシングとしてのアプローチを活性させ、遊びの集団としての役割を果たしてゆきます。
そして運営する連盟会長以下のスタッフ執行部は全員ボランティアであり、営利を目的としない釣り人組織として、行政から高い評価を得られます。


本部組織とは別に山口県を含む九州各県支部があり、地区分断まで含めると約30区域におよび、それぞれの執行部スタッフが無報酬ボランティアで運営されています。

現在、九州磯釣連盟三代目の下村要一会長は私と同郷の北九州市若松に事務所を構える九州新潮会として活躍されています。北九州市には釣り人を代表するオピニオンリーダーが多く、時代を先導しています。その中で、これからの「釣り」をどのような形で末代まで残すか!! 今、問われています。



平成23年度 九州磯釣連盟 定期理事総会を開催

 平成23年5月15()、九州磯釣連盟の総会が北九州市小倉北区毎日会館で開催されました。毎年、海洋磯釣倶楽部代表理事として出席し、鹿児島、五島、宮崎、長崎、大分など各方面から釣り仲間がたくさん参加して、互いの再会を喜び、又、懇親会を得て、山口県を含む九州の釣り人は大同団結して一つの大輪にし、釣り人の為の組織として、今年もたくさんな事業計画が提案されました。
下村連盟会長の力強いパワーの中で、私達が今年も自然環境美化から釣りマナーアップ、稚魚放流や、少年少女釣り大会などの開催を通して、次世代の釣り人育成、そして行政から国政にいたるたくさんな釣り人諸問題を解決してゆきながら、ダイナリズムな活動をすることを決議されました。その中で二つほど主な議事を紹介します。


◎九州の二大イベント大会といえば、春の西日本釣選手権大会、秋のオール九州釣選手権大会があります。この大会を主催しているのが、スポーツニッポン新聞社です。もう40年ほど続く伝統ある大会ですが、昨今の釣り人ニーズに応えられないとのことで、スポーツニッポン新聞社が主催を断念しました。

その伝統ある大会を無くすのがもったいないということで、九州磯釣連盟が後を引き継ぐことになりました。しかし、春の西日本釣選手権大会については、同時期に開催されている九州磯釣連盟釣選手権があるので残念ながら廃止となりました。オール九州釣選手権においてはこれまで通り開催されます。ただし、一部修正がありますので、これは後援企業や団体等とも相談して決めることになっています。

◎二つ目は、3月11日、東日本大震災の被災者に対する救援と、その義援金をどうするか、のテーマでしたが、これは緊急を要する救援ということで、九州磯釣連盟 福岡支部が総力を挙げて、トラックとミニバン等8台の車輌で救援物資を満載して、宮城県の女川町に直接、町民に届けたこと。又、ボランティア活動したことなどを牛島 福岡支部長が報告されました。その上で、義援金については各県支部が会員より基金を出していただくことを議決されました。

議事の中で、田中栄一さん()日本釣振興会 福岡県支部長が、その基金について、釣り人の為の義援金、もしくは支援金を考えていただくよう発言もありました。私達、九州磯釣連盟組織は、このような素晴らしい活動をしていることを誇りに想いますしこれらの運営、全てがボランティアで行っていること。そして下村要一九州磯釣連盟会長、以下スタッフの皆さんが今年度も再任され、ますますの活躍を、私達は力強く応援したいと思います。釣り人皆さんの暖かいハートで釣りマナーアップ、釣り場のゴミ持ち帰りなど、ご協力応援よろしくお願いします。

九州磯釣連盟入会など、問い合わせは

さん、九州磯釣連盟入会しませんか大物釣りからルアーのヒラマサ、スズキ。シロキスの部門まであります
九州磯釣連盟では、2名以上のクラブ、個人でも参加募集中です。北九州支部エリアは北九州市、筑豊、直方、遠賀、行橋
豊前などその他の地域でも紹介します。メッセージ、申込みは九州磯釣連盟本部へリンク。私のページでも、ご案内中です、どうぞよろしく
   問わせは 九州磯釣連盟・本部事務所・
福岡市南区老司3丁目18の34 TEL・092 408 5680番
で、連絡下さい



 ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ 
    未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき



第二章 釣りを趣味にした私のおいたちとクリーンアップ


「海洋磯釣倶楽部の伝統」として受け継がれる釣りマナー    その3

昭和51年3月に発足した、海洋磯釣倶楽部の創立メンバーは16

二年後には若い者が入会して22名となり、活気が満ちあふれています。しかしメンバーの中心である、リーダー格の藤崎、保里、内田、益田、東、浜部兄弟のゴミマナー、釣り場クリーンアップの精神が凄すぎるぐらいの厳しさがあります。それは私達が住まいを構えている北九州市に問題があります。海洋のリーダー格はみんな若松の方で、みんな公害に直面した方ばかりです。


当時、私が住む若戸大橋そばの会社アパートには毎日のように煤煙が入り込み、畳の上はザラザラなのです。洗濯物を外に干していると黒ポクなり、しかも煤煙粉が付いて汚いのです。これが当時は普通の生活でした。そばの洞海湾は、まっ茶色に染まり悪臭が漂う海で、灰色の空から海や空気まで汚染された公害都市だったのです。

その中で唯一、自然の中で遊べる趣味の釣りは、私達の生甲斐でもありました。そのような美しい優しい自然に浸れる釣りを、たくさんの人々が求めていた時代でもあったのです。
その中でそれらの景観を汚す、ゴミを放置する行為を私達の仲間は許しませんでした。
海洋磯釣倶楽部のメンバーは全員、ゴミマナーを守り、清掃美化を心がけ、ごく普通の釣り人として行動してきました。そのサポートをしてくれたのが()日本釣振興会でした。


海洋が取り組んだ宗像市筑前大島釣り場掃除で(公益財団法人)日本釣振興会、園田 直 会長より感謝状

私達が良く通っていた宗像市の「筑前大島」は、ホームグランドとして度々月例会、大会をしておりましたが、裏磯に送迎してくれる旅館の三笠屋ご主人から「釣り人のゴミマナーが悪いので、大島漁協から再三文句を言われて困る」件でした。それで、思い余って大島の港、波止、裏磯の清掃美化作業を海洋のクラブ員18人で決行します。これが昭和53年のことです。

このときは三笠屋旅館から軽トラックを二台借りたり、大島漁協さんから肥料用の大型ゴミ袋を貰ったりして、周辺の釣り人にも応援加勢してもらい、大島の外波止から宮崎港の波止まで美化しました。とくに裏磯のマイクロバス待合所があるゴミ、缶は、軽トラック一杯分ありましたが、とにかくこの作業を二度ほどしました。もちろん筑前大島の月例会や大会たんびにゴミ拾いを良くしたものです。いずれも当時は漁協がゴミを受け入れてくれました。

そのような活動を稿にして、全九州釣ライター協会 事務局長、小路 隆さんに送り、西日本新聞や読売新聞に記載されます。そして後日、()日本釣振興会、東京本部より感謝状が贈られました。これがきっかけで私達、海洋磯釣倶楽部は()日本釣振興会の会員となります。

その後、ゴミ袋の配布とか、大会ときの賞状やメダル等の寄贈が同、財団より多大ありますが、これ等も全九州釣ライター協会、小路 隆先生のおかげがあります。そして、()日本釣振興会 副会長であり、九州地区支部長である潟^カミヤ、高宮義諦先代社長とのつながりを深めたのも、このことがきっかけでもありました。


クラブで活動する、北九州市若松響灘埋立地の釣り場美化推進

私達、海洋磯釣倶楽部のベースはやっぱり地元、若松の釣り場です。
広大な埋立地、岸壁、波止、運河から洞海湾貯木場、一文字波止、沖波止、そして新波止には連日、数百人に及ぶ釣り人が大挙して押しかけ、釣り人のオアシス的な若松がありました。この頃がもっとも若松の釣具店さんが栄えた時代でもあり、日本の釣り人口、二千万人とも言われた頃でしたから、物凄いパワーを感じていました。
しかしながら一方ではゴミが山のように積もり、あっちこっちでマキエ汁のついたナイロン袋が散乱していたときでもあります。私達は釣りをしない清掃美化活動を良くしましたが、九州磯釣連盟、北九州支部の釣り場クリーンアップ事業も、この地で随分開催されたものです。まだ昭和から平成に入ったばかりの頃です。

その頃より、あっちこっちの埋立地が立入り禁止区域となり、工場が立ち並ぶようになります。この時代、九州磯釣連盟、若松地区会長会議でも多くの時間をかけ


◎響灘埋立地の立入り禁止区域内で「釣り人死亡事故」二件。
◎バイクや自転車転倒とか車の盗難多発。
◎テトラから落ちた釣り人事故が数件。
◎これらの事故を釣り人が行政にクレームをつけた件。
◎その他、釣り人のマナーとか自己責任の問題など


釣りマナーとか釣り人意識は、自然にかえるとゴミを放置したくなるとか、開放感に浸った良識ある行動ができなくなる等、そんな気質が様々なトラブルを引き起こす結果となり、問題が多発します。
港湾局、行政、漁協、企業、農水省、そして釣り人代表との接点は、いつでも釣り人事故と釣りマナー等のトラブルがテーマで「問題解決は釣り人一人一人の心構え、道徳心を求めないと難しい」、そのことにより「立入り禁止、海に寄せつけない行動規制する」ことが何処の地域でも決まり文句でした。
その中で海洋磯釣倶楽部の会員達は倶楽部の伝統と先輩の熱い釣りマナー精神、そして九州磯釣連盟組織のリーダーとして釣りマナーアップに努め、模範行動を更に増すことでした。そのような活動を私達は続けています。






 ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ 
    未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき



第二章 釣りを趣味にした私のおいたちとクリーンアップ 

ITネット「海洋のホームページ」で広げる釣り文化      その4

私達の釣り情報は、新聞や釣り雑誌から広く知りますが、釣り仲間や釣り人から知る口コミ情報は最新のニュースとして素早く、的確に伝わり、詳しい知識の中で活かされます。そのもっとも早い釣りニュースが、各地域の釣具店で聞く情報や渡船、船長さんから貰える的確なコメントであり、タックルや釣エサ、ポイントまで含めた、釣れるニュースなのでしょうか。
その中で、釣れる釣り情報を貰っても、それをどのように活かせるかは、ベテランとか、常連釣り人の腕次第なんでしょうが、誰にでも同じように釣れる分けでもありません。そうなれば、釣る為のソフト面、色々なタックルや仕掛け、釣り具などをある程度そろえ、並以上のいでたちにして、それをどのくらい活かしてチャレンジできるか!! でしょうか。その上で、
やっぱし上手なベテラン釣り人と一緒に釣行して、色々なアドバイスを貰いながら釣る作戦が一番の早道と言えます。そのような関係から繋がる釣りクラブ組織があります

釣りクラブには釣具店がお世話するものから、会社、職場の釣り仲間で結成されるもの、あるいは学校とか地域とか、遊び仲間が釣趣に合わせて結成する様々な釣りスタイルの同好会も、たくさんある分けで、さしあたって私が入会している海洋磯釣倶楽部も職場から発展し、一般公募の形に変えて引き継がれています。


釣りクラブには多数の人々が集まり、色々な考えの元で発展し、継続してゆく分けですから、一つとして同じものはありません。趣味の釣りですから全てが自由です。あまり制約、規則を固めると、中々続けられない、すぐに解散する釣りクラブもけっこう多いものです。ですから「基本ベースは自由」思い切り遊べるスタイルで、お魚さんが釣れる釣りスタイルを多く望みます。その上で釣りマナーアップだけは、ぜひお願いしたいところです。


そのような趣味の釣りクラブが今、若者世代のルアー、ジギング、エギング、ソフトルアーから、ソルトウオーターゲーム、ロックフィッシュなど、横文字を多用した生エサを使わない、新しい釣りスタイルのチームが数多く生まれています。5〜6人居たら十分チームが出来るのですから、学生達がこぞってチームを組み、毎日、毎晩近場で遊んでいるのですね。一方で私達のような活エサ、生エサを使った釣り人は年々少なくなり、九州磯釣連盟とか全日本サーフキャスティング連盟、全日本磯釣連盟など、50年以上の歴史ある釣り団体組織でも会員の減少が激しく続いています。

その影響を激しく受けているのが釣り具業界であり、釣り具産業も下降の一途をたどっているのは誰しも認めるところです。そのような変革にプラスして、お魚さんが釣れない時代となり、年々魚が少なくなっているのは現実問題です。お魚さんが少しでも増えてくれたらファミリーフィッシングや釣り人も増えるのですが、中々難しいのが今の世です。

お話しを原点に戻しますが、お魚さんとゲームフィッシングするとき、あのヒットしたときの、あの感触は釣り人しか分からない、スリリングな、幸福な時間です。あの楽しさが忘れられないから私達は、釣りの面白さを追求しますし、釣り仲間や釣り人同志で遊びの時間をリアルタイムで行動します。この事を次の世代、子供達にも体験させてやりたいし、残してやりたいのが親心ですよね。わずかばかりの釣好でしかない釣行でも、大海の豊かな自然の中で思い切り遊べたことを感動し、再び、その想いを巡らしてチャレンジしてゆくのが本当の釣り人です。そのような恵みの海を大切に温存させながら、釣り仲間を育てるハートをたくさん持ち、子供達や、お母さん、恋人にも面白い釣りを体験させてほしいのが、私の願いです。




平成18年に開設した海洋磯釣倶楽部のホームページは、
たくさんの方から見て頂いて、今年、一万三千人を越えました。ありがとうございます。
そのページには、海洋磯釣倶楽部の平成24年度のアクションプログラムが毎月毎に詳しく紹介され、誰でも参加してOKの行事が記載されています。毎月一度の月例会から大会、その報告からコミュニケーションを描いた写真を多く加え広くPRしています。そのページと海洋磯釣倶楽部の紹介や、ゆかいな釣り仲間の原稿を写真入りでPR。他に「九州磯釣連盟」や「九州の釣り文化を貴めた人々」「釣り場環境美化」など様々なテーマにしたページが20リンクほどあり、内容はすごく豊富です。本誌で記載中のこの文章も、いずれ別のサイトでPRするつもりでいます。そして、このホームページが目指すものは、九州の釣り文化を構築するベースになり、たくさんの人々が豊かな、温かいハートが持てるようなページにすることを考えています。


そして本誌で何度も繰り返す言葉、釣りマナーアップ、釣り場環境美化推進、このことをモットーにして、私達の釣り文化が日本人の釣り人基点になれたらイイと思います。小さなアットホームなホームページも、全世界で繋げるITネットワーク、世界各国の釣り人が、ジャパンの釣り場はすごくイイ、訪問したい!! そんなことを描いて、今日もパソコンに向かい、更新しています。どうぞ、ご覧下さい。


ホームページ http://www.geocities.jp/kaiyo_hp/
@海洋のホームページ・パートT  25リンク
A海洋のホームページ・パートU  20リンク
B九州の釣り文化を貴めた人々    6リンク
C釣り人の命、遭難現場を考察する  6リンク
DSports fishing information service JAPAN (サーフメイズ JAPAN)
その他、私が発信しているページ  3〜4つほど







              第つづく
本文と合わせて1960年代からのポール・モーリアmusick 1〜15までお楽しみ下さい




1980海洋磯釣倶楽部のアクションプログラム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













     未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき
第4章 美しい自然環境を取り戻す過去と未来





               海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲