Sports fishing information service japan 1976.3.創立 九州磯釣連盟北九州支部 海洋磯釣倶楽部   music 夏の日の恋 (ポール・モーリア) . 5

北九州市若松洞海湾に架かる若戸大橋は多くの釣り文化人が育んだ街並だった、その街を愛した先人、そして私達

「来たときよりも奇麗な釣り場」 九州磯釣連盟 北九州支部 海洋磯釣倶楽部 会員のモットである
     未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき
第4章 美しい自然環境を取り戻す過去と未来





        海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲

  ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ 
      未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき



第四章 美しい自然環境を取り戻す過去と未来

玄界国定公園、北九州市若松響灘の渚はどこに
「自然景観美を意識した若松運河、釣り散策公園」の実現に向けて その11

昭和四十二年、北九州市小倉から若松の会社に就職して、初めて釣りに誘ってもらったのが玄海国定公園の東側にある若松小石海岸だった。
大先輩の萩原さんは親父ぐらいで、もう一人の兄貴格の中原先輩は根っからの若松人。その二人が案内してくれた小石海岸から不動下の浜は、モ根石混じりのゴロタ浜で、干潮ときはサザエやアワビ、ビイナ、それに根魚のアイナメ(クジメ)、カサゴの巣で、手ですくって取れる好場。その先の不動下、椿下バス停そばの海岸は沖が砂地で、ちょっと投げたら2528pごろの大型キスが竿を引っ張りこむ超穴場だった。
その海岸からゴムボートを漕ぎ出す釣り人も多く、常連釣り師だった先輩の浜部利治さんや空閑敏明師匠は、キス釣り名人でもありました。そのシロキスの中に今絶滅の危機にあるアオギスも釣れていた時代で、昭和四十年から五十年ごろの小石海岸は遠浅の浜からアサリ掘りや釣りエサとなるゴカイや本虫がたくさん掘れたところ
で、まさかその渚、浜が埋められるとは思いもよらないことでした。

数年後、不動下海岸から長大な捨て石(波止)が沖に延びてゆき、その波止で随分とクロ、チヌが釣れました。まだ昭和40年代の頃で、その沖に陣地とか運河の基礎になる捨て石、波止がタテ、ヨコに入り、次第にその波止が囲まれてゆく過程を私達はしっかり見つめながら釣りに没頭していた時代でもありました。
昭和50年代に入ると、小石から椿下、若戸自動車学校、脇ノ浦港へ続く海岸バス道路沖は完全に死の海となり、八幡製鉄所から持ち込まれる廃棄物で赤い海、緑の海が、いやおうなく私達の目の前に現れ、バス通りの小石海岸から脇ノ浦港までの渚、海が完全に消滅。そして洞海湾とつながる運河上に青い橋と呼ばれる、小さな埋立て用橋が架かり、その橋を渡り洞海湾側の貯木場とか軍艦波止で夜釣りのメイタ、セイゴ釣りを楽しんだものです。

若松響灘の広大な埋立地には、まだ工場が無く、渡船で渡る「捨て石波止」から大型チヌやクロ、バリが荒食いし、夜釣りは30pを越えるクロが乱舞する釣り場に、私達は恵まれた環境に歓喜していました。もちろん、そんな釣り場をかかえた若松の釣具店は、週末になると店がごったがえすほどの釣り人に潤った時代でした。しかし、埋め立てが進み、工場ができてくると、あっちこっちで立入り禁止区域が広がり、フェンスや鉄条網が海岸線の立入りを拒んできます。その頃より釣り人と行政、企業とのトラブルが多発してきます。
現在、若松区赤崎、小石バス停から湾曲しながら続く脇ノ浦港までのバス道路はなんにも無い企業埋立地ですが、その沖側に立派な四車線のコスモス街道が直線道路として青い橋から続いています。そして電源開発火力発電所、その先の脇田港までの海岸バス道路には海が無い、渚もありません。脇田海水浴場は人工浜となり、ごくわずかでしかなく、ほとんどが岸壁。その中で釣りができそうな波止が7本ほどあり、それ以外の岸壁は港湾局、企業私有地として90%海に入れません。若松響灘は国が行う公共事業として、東アジア経済圏を狙う日本のハブ港として開港され、若松西部埋立地に長大な岸壁ができ、大型コンテナ基地を構えています。しかし、その活用はほとんどありません。北九州市政では九州の核となる経済圏を勧めていますが、将来の展望は全く見えていません。魚達の楽園であり、多くの魚貝類を育んだ若松響灘や渚、海岸線、それを消滅させた代償は誰が償えるのでしょうか。

人間の文明は豊かさを追求する上で多くの自然界が消滅しています。

私達はもう一度人間社会のありようを考え、もっと自然を大切にしたテーマを持ち、優しい海岸、渚の代償を考え、復活までイメージした活動も視野に入れたいものです。その為に、今できることをアクションプログラムし、行動したいと思います。釣り場美化はもちろんですが、もっとお魚さんが増えるとか、釣れるとか、自然が豊かになることをイメージし、若松の渚を別の形で再現させたいものです。


今、九州磯釣連盟、下村会長や(公益財団法人)日本釣振興会 九州地区支部 及び 福岡県支部などの、執行部スタッフが「若松響灘運河海岸、渚釣り公園と響灘の緑地景観増殖自然公園」を計画しています。自然美豊かな海岸渚に、魚達を呼び戻す景観から、釣り人はもちろん市民に親しめる緑豊かな観光公園施設まで含めたアイデアを行政から国政に呼びかけ、青写真をアクションプログラムさせております。玄界国定公園、若松響灘の名に恥じない自然景観を、釣り人ならず観光産業分野まで取り込んだプロジェクトが今、進行しています。釣り人皆さんの応援とご協力をよろしくお願いします。


   ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ  
         
未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき


第四章 美しい自然環境を取り戻す過去と未来      


重工業都市、北九州市洞海湾の汚染と再生 
        そして再生の洞海湾が釣り公園となる日    その12


昭和25年生まれの私が学んだ小学校4〜5年生の社会科授業、北九州市は国内最大の四大工業地帯の一つで、八幡製鉄所を核にした重工業都市であることを知ります。その翌年に5つの市が合併し百万都市、北九州市が誕生し、政令都市の仲間入りをします。この頃は商業で発展していた小倉の街中で生活していましたから、その重工業都市の八幡、戸畑、若松の街並を知りません。しかも、その工業地帯のまん中に洞海湾があり、その海が「死の海」であること等、予想もしていませんでした。そして、そのことを知ったのは社会人になったときです。
死の海とは生き物が育たない海で、油まみれの茶褐色したドブ海の洞海湾には、いつも半分死にかけた魚達が浮いています。もちろんそんな海で釣りをする人も居ないし、釣れたハゼやセイゴ、ボラ等の魚は奇形魚が多く「ドブ臭い」「油臭い」ので食べる人などいません。その海に面した若松魚市場とか戸畑魚市場には、沖で捕れた新鮮な魚がドンドン水揚げされていますから皮肉なものです。そのような若松洞海湾と携わった昭和40年代からの20年間、洞海湾と隣り合わせの会社に勤めます。それに10年間住んだ会社社宅からわずか100m先に洞海湾があり、その異臭の臭いに悩まされた生活がありました。

そんな洞海湾が少しずつ再生の海に変化してゆく過程を私達、北九州市民とか市政、そしてもっとも貢献したのが汚染した企業の努力でした。厳しい環境規制を推進しながら排水、浄化、下水処理を市民あげてパワーアップしてゆくプロセスを感じながら、市民の熱意が実っている証が、今の青さに戻った洞海湾なのでしょうか。

行橋市宮の杜に住むNさんは、私の母と同年代の方で、町内の世話係とか、お寺の檀家との接点があり、弟が魚を良く持って行く親しい方です。そのNさんは八幡製鉄所に40年間勤めた工員でした。そのNさんが、その当時を振り返ります。
「海にこんなものを捨てて良いのだろうか!!
「鉄を冷やす水はもちろん、コークスや石炭、工場から出る廃液から様々な汚水を洞海湾に注いだこと」
を後悔しています。
それで「その洞海湾でクロやチヌが釣れるんですョ」と言うと「そんな魚食われん」と言います。
当時「鉄の都」と言われた工場群から、さまざまな企業、会社から浄化されない汚水が海に注がれていたこと。そして市民も水洗されない同様な家庭排水をドンドンたれ流していた時代だったのです。そのような日本国経済の発展にともなう高度成長時代は当たり前のような国策だったのです。現在の中国がそのような過程を今、踏んでいるのです。
 
平成24年の今、海の青さを取り戻した洞海湾に、魚が戻ってきたこと。車エビが若戸大橋下で取れたり、クロの乱舞から奥洞海までチヌが乗っ込んで釣りが楽しめるようになったこと。4050年かけてやっとここまで海が再生したこと。そしてまだまだ本来の青く澄んだ海に戻す為、私達や都市は、その過程をしっかり見据え、これからの新しい世代に豊かな洞海湾、海をタッチしてやりたい、その優しいハートを現実にする為、北九州市のウォーターフロント事業などが更にスピードアップされています。



再生の洞海湾全域が釣り公園になる日              


釣り心を育ててくれた若松洞海湾。その海が、まさかこんなにも私の運命を大きく揺さぶるとは思いもしないことでした。若い私を育ててくれた先輩、師匠が、みんなその洞海湾の恩恵を受け、その海を垣間見ながら去ってゆくとき、私の海は、その海をきっと再生させ、師匠が生まれ育ったときの、あの奇麗な渚があった、海の香りが漂い、海水浴ができていた頃の洞海湾にしたい!! そんな想いが「釣り心」を目覚めさせたのです。「釣り場環境美化」は先輩、師匠、そして私達みんなが優しい自然環境の中で釣りがしたい!! ただそれだけの想いでたくさんの釣り人が、その為に努力をしている、邁進しています。
その洞海湾と今だ釣りで関わっている先輩達が、その海辺の前に住んでいます。若松区浜町と、Lナード波止そばのマンションや、13Fの市営アパートに6人の元、海洋磯釣倶楽部OB会員が住み、いまだ、その海で釣りを親しんでいます。
「洞海湾、奇麗になったョ」

今からのハゼやセイゴ、メイタ、クロやメバルも釣れる。そしてエギングで甲イカも釣れるし、ルアーのスズキ釣りが今、絶好調。ただ、キスが釣れない!!先輩達が口をそろえて言う
「シロキスが釣れたら本物やね」Lナードの波止で今、アジやコノシロ釣りが楽しめているが、まだ、これらの魚を釣って食べれるかと聞かれると、一様にこの辺の人は食べない。まだ安心できるか不安なのです。昔のことを学んでいる、知っている年輩の方は、まず洞海湾で釣れた魚を口にしない。やはり不安は隠せないでいる。そのようなイメージをどう変えさせ、今からの新しい考えのもと、再生された海をどのようにアピールさせるのか考えている。
私はもっとインパクトのある稚魚増殖に加えて、海岸整備から、海水浴場とか、自然の海をアピールできる川と渚を整備した、ウォーターフロント事業を、もっと自然の形にする案をお願いしたい。



洞海湾を本当の意味で再生させる事業案         

これまでの稿で紹介したことを踏まえ、まとめてみるが、基本ベースは、昔、企業や工場が無かった江戸時代? のときと同じような自然景観を意識することから始まる。早い話、不可能を言っているかも知れないが、そのぐらい奇麗な海、渚、浜があったことを意味している。
@稚貝・稚魚増殖、放流。
これは私達が毎年クロダイやマダイ、メバル、カサゴ、ヒラメなどを九州各県地域でリリースしているのだが、洞海湾にも数十万匹、漁協や企業、行政、国政まで含めて、リリースをお願いし、海の再生を早めてもらいたい。魚貝類などの生き物が増えることで、海底の植物性プランクトン等の増殖をうながすこと、色々。
A奥洞海に渚、浜、海水浴場まで含めた海岸を考える。
100年以前は、洞海湾と遠賀川が繋がっていた。その奥洞海の江川を復活させ、今、遠賀川の水を飲料水にしている北九州市民の根底からの、水と海を再生させること。そして江川で繋げる自然景観と若松文化を継承すること。「川ひらた文化」これらをトータルで邁進させる為にも、奥洞海の海を奇麗な渚に戻し、海水浴場まで出来ると、北九州市が今取り組む自然環境美化、エコ社会、企業リサイクル文化の革命がアピールできる。

 

B洞海湾ウォーク・サイクリング道路 & 散策、釣り公園など。
湾に直面した海岸の90%は企業や港湾局が独占している区域。これらの水際線をできるだけ長く市民に開放させ、自由に出入りできて、海と遊べる、自然公園遊歩道を考えてほしい。その上で、イベント広場とかスポーツミュージアム、交流の場を国策として、洞海湾を更にイメージアップしたい。
C海は私達のもの
都会のド真ん中で自然景観豊かな海と触れ合える市民のオアシスを、ぜひ実現させてほしい。渚でアサリ掘り、貝やカニさんと遊べる浜にサーフフィッシング、カレイやシロキスが戻って来た洞海湾。そんな夢を描きながらアクションプログラムさせ、さらに切磋琢磨したいですね。



    ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ 
      未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき


 


第四章 美しい自然環境を取り戻す過去と未来       


関門海峡の海水汚染と物流経済、稚魚増殖は可能か  その13


40数年間、今だこの海域で遊んでいる私にとって、この場所はホームグランドというか私のオアシスでもあります。
私達が馴染むこの地は、魚釣り以外の観光とか市民文化交流の地として、あるいは遠い昔からの経済とか物流の要所として栄え、私達民族が繁栄した大切な場所でもあります。又、釣りという小さな趣味の世界でとらえるのでなく、私達が生きる為に与えられた大自然の関門海峡でもあると想うのです。その海は今、東アジアの基点となり、たくさんの外国船が往来しながら経済が発展しています。
一万トンクラスの大型貨物船が係留されている岸壁から数百トンのタンカーまで、様々な船舶が接岸される港、岸壁そばから私達の釣りができています。その中で、今度のテーマは海洋汚染です。
私がこの関門海峡で最も多く携わっているのは投げ釣りです。3040年前の北九州市門司区太刀浦(昔は笠石と言っていました)海岸はジャリ石浜と岩場があったところですが、この海岸から投げ釣りでアイナメ、カレイを釣っていました、昭和40年代の頃です。その頃から笠石は沖に波止ができ、防波堤ができ、海を囲いながら、沖の波止がつながり、囲まれた内波止から排水され、埋められてゆく過程を見ながら私達は釣りに没頭していました。
当時はイシモチ、コイチ、カレイ、キス、チヌが大変良く釣れたもので、このときはまだ本誌「週刊つりニュース西部版」は発行されていない時代です。そんな時代から投げ釣りを今日まで続けていますが、残念なことにお魚さんが今、全く釣れません、居ません。このことは年々お魚さんが関門海峡から姿を消しているという現実があります。
近い将来、この海域で釣れるのはチヌとエイぐらいでしょうか。なぜなんでしょう。



関門海峡の海水汚染による寄生虫と奇形魚

私が、はっきり申し上げますと、海水の汚染と公害なんです。決して私達がたくさんお魚さんを釣ったとか、漁師がアミでお魚さんをたくさん捕るということではなく、お魚さんが関門海峡に住めなくなったとか、稚魚の増殖とか産卵する場所、海域がなくなってしまったこと!!が主な要因です。そして海水の公害です。
投げ釣りとか船釣りで、イシモチ、コイチを釣った方は経験あると思いますが、これらのお魚さんは決まって寄生虫が居付いています。魚体全体に黒斑点があったり、エラや腹ヒレに白い長さ2〜3pの寄生虫がくっ付いています。
又、2030pほどのイシモチにしても、虫が付いていたり、コイチ、金グチに関しては2匹に1匹は、これらの寄生虫に侵されていますから、釣っても食べられないのです。又、ケムシが多く釣れます。特に夜釣りになりますと異常なぐらい入れ食いになります。特に海流が通さない湾とか港内、河口域や排水設備がある地域はケムシの巣になっています。
そしてエイが良く釣れることも海が変化している証拠となります。繁殖力の強い魚が生き残るのは当然ですが、魚達が主食にする海底のエサが少なく、貝穀類からカニや虫類が居ない。又、それらのエサ達が増殖されない海底の環境変化があるからなのです。それはケムシが多く釣れる海底は、ほとんどドブ底です。ドロ地で、投げ釣りのオモリがドブの中に埋まり、ドブ煙が立ち込めます。しかも、奇麗なドブでなく、汚染された汚いヘドロが積もって溜まっている海底ですから、自然と寄生虫が湧くのです。一部のお魚さんが、それらの所でエサを探しているとなれば、当然それらの虫に侵されるか、それらの虫を食しているかも知れません。



関門海峡に求められる稚魚養殖と、新しい時代の自然景観とは

少しまとめてみますが、潮通しの良い海底は、まだ砂底があったり、海底の岩盤があったりしていますが、モやコンブ等の植物性プランクトンが中々繁殖、増殖されないことです。奇麗な海であれば良いのですが、中々できない理由は二つあります。
@それは私達の生活排水や工場、企業の汚水などが、まだまだこの関門海峡に流れ落ちているからです。
Aそして外国船などの大型貨物船、タンカーから、たくさんの汚水、廃液などが関門海峡に捨てられているのです。

東の周防灘、西の玄界灘という、凄く奇麗な海が、海水が干満差によって、この関門海峡へ、西に東に流れて奇麗にしてくれます。又、お魚さんもその潮の流れに乗って、たくさん関門海峡に入って来て私達に微笑んでくれています。物凄く良い環境なのに、なぜ関門海峡で魚が釣れないのか、あるいは年々魚が少なくなっているのか、冬場のアイナメとかカレイが、なぜ釣れないのか。このところを釣り仲間達みんなが共有して、検証して、どうしたら魚が釣れるのだろうか。どうしたら奇麗な海になるのだろう、というテーマを持って、私達は様々なところでビジョンを描き、アクションを起こすべきだと思います。



今度のテーマは、私達釣り人に直接原因がある分けでもありませんが、年々魚が少なくなっている事を現実にしっかり受け止め、環境とか自然がどのように変化し、変わってきているのか、そして物流経済の発展に伴い豊かになっている私達の生活。その中で魚達が住めなくなっている関門海峡の生き物達のことを考え、そのことを国政とか行政、市政等に問いただす、あるいは関門海峡を利用している企業にも、その責任を取ってもらうつもりの、みんなで問いただすことも必要かと思います。

北九州市の未来を見据えたウォーターフロート事業もテーマにありますが、私達はそのようなところで「北九州の水際線を守る会」理事として、潟^カミヤ、高宮俊諦 社長。(公益財団法人)日本釣振興会 福岡県支部、田中釣心さん。九州磯釣連盟 下村要一会長、メディアを代表した本誌の週刊つりニュース、古賀 編集長など、10名ほどの関係スタッフの例会のもとで、関連する機関に様々な諸問題を提言しています。みなさんのバックアップをお願いします。




へつづく
本文と合わせて1960年代からのポール・モーリアのmusick 1〜15までお楽しみ下さい




 ジャパニーズフィッシング文化と釣り場環境美化推進 そのアジェンダ 
    未来へ継ぐ釣り文化、釣り場美化推進のとき


     北九州市洞海湾と若戸大橋

 

昭和40年代から利用した若戸渡船は今でも現役
 

 

その渡船乗場周辺が今チヌのポイント
 
北九州市関門海峡、関門大橋
 
関門海峡下関市は観光エース
 

 
関門海峡下関水族館前が釣り場
 

 
下関市唐戸市場前の釣り場
 
関門海峡のクリーンアップ私
 

 

 






さん、九州磯釣連盟入会しませんか大物釣りからルアーのヒラマサ、スズキ。シロキスの部門まであります
九州磯釣連盟では、2名以上のクラブ、個人でも参加募集中です。北九州支部エリアは北九州市、筑豊、直方、遠賀、行橋
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